第4回コンクール 優良賞作品


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ゆか「私がつくる熱い人生」(天野篤『熱く生きる』)


 毎日、育児と家事と仕事に追われている生活の中で、出勤の合間は私にとって唯一と言えるほどの貴重な自分の時間だ。決して育児も家事も仕事も、すべてが満足のいくできではない。それでも、自分なりに一生懸命取り組んでいるつもりだ。だからこそ、電車を降りたら前向きに、楽しく、全力で頑張ろうという気持ちになれるような本を読みたい。そんな気持ちで本屋さんや図書館に足を運ぶ。
 そして出会ったのが『熱く生きろ』。著者は、あの天野篤さんだった。なんて力強い、前向き且つ全力な題名だろうと思った。そして、きっとこの著者は、本当にそんな毎日を送っているのだろう。私もその熱い気持ちをお裾分けしてもらおう。そう思って読み始めた。

 心に残る言葉はたくさんあった。たとえば「仕事に飽きるのは中途半端に妥協しているから」という言葉だ。
 幸い、まだ今の仕事に飽きたと感じたことはない。しかし、中途半端に妥協していないかといわれると自信はない。下準備でも、時間もないしまあこれくらいでいいか、と妥協したことがたくさんある。一つ大きな仕事を終えた時も、とりあえずなんとかなった、と感じるときもある。
 「とりあえず」「なんとかなる」という言葉は、改めて考えると、妥協した結果以外の何ものでもない。全力でできる限りのことをした結果うまくいったときは、「うまくいった」という、すがすがしい達成感が残るはずである。私が仕事に飽きていないのは、時短勤務の中で仕事をこなすことに必死になるあまり、飽きを感じる余裕がなかっただけではないか。
 私の仕事は、教育関係だ。未来を支える仕事である。妥協によって支えられるような、そんな未来が希望に満ち溢れるはずがない。もっとできることがある。そもそも、私がこの仕事に就いたのは、未来を生きる子どもたちの支えになりたい、贅沢を言えば、将来、社会という荒波で生きていく子どもたちの、ちょっとした止まり木になりたい、そういう思いだった。
 今の仕事に飽きたりはしていない。でも、初心を忘れて仕事に飲み込まれていたということに気が付いた。今の自分の仕事で子どもたちの止まり木になったら、荒波に耐えて安心と勇気をあげられるはずがない。もう一度、初心を思い出して、妥協せず、自分の目標を見失わずに働きたいと強く思う。

 もう一つ心に残った部分がある。「運がよかったというのは努力を積み重ねてきた人にし か起こらない幸運である」という内容である。
 これは私も常々感じていることだ。努力をしているから、幸運に気が付くことができる。努力をしているから、サポートしてもらえる。努力しているというのは言い換えると、たくさんの失敗を経験しているということではないか。つまり、その失敗の中で、たくさんのことを経験し、考え、自分の中の蓄えを増やしているということだ。だから、その中の最善を選ぶことができるようになる。その結果としての運だ。そう考えている。
 先の、妥協していた、と矛盾するようだが、やはり必死に努力していると、試行錯誤を重ねることになり、その中に良い手が見えてくる。良い結果を引きつけることができる。「努力すれば夢がかなう」のではなく、「努力をし続ければ、夢はかなう。必要とされる努力を、自分が求める結果に見合った努力をすれば、夢はかなう」のだ。
 私の自慢は「運がいいこと」と「夢をかなえたこと」だ。でも、そのための努力も人一倍した。それは成功体験として私の人生を豊かにしてくれている。くじけた時に頑張れる原動力になっている。この本を通して、改めて「努力」の大切さを確認できた。そして、この信念をもって、子どもを育てていきたい。自分の子どもにも、努力を積み重ねて夢をつかむ、良い運に恵まれた人生を歩んでほしい。

 この本を通して強く印象に残ったことは、努力に裏付けされた強い信念を持って生きるこ との大切さだ。筆者の人生は熱い人生だと思う。そして努力の人生だと思う。そして、あの 天皇陛下の手術後の会見の言葉の重みが分かった。「普通のようにやったから、普通の結果 である」。相手が天皇陛下だから全力を尽くしたのではない。ましてや相手が天皇陛下だから幸運が舞い降りたのでもない。筆者はただただ、筆者にとっての普通、努力を惜しまないという普通を全力でしただけのことだった。

 これは誰にでもできることではない。でも、私にだって、愛する家族のため、仕事のために全力をつくすことはできる。私もいつか自信を持って、私の人生は「熱い人生」だと言えるようになろう。私が私の「熱い人生」をつくるのだ。

(1860字)(32歳、女性)


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