第5回コンクール 優良作品


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中島康隆「誰にでも母親はいる」(婦人画報編『母 mamma!』 )


 「『みなさん ありがとうございました』 母は一人ひとりに挨拶しました。そして、弟にこう言いました。
 『八郎ちゃん、お外はとっても暑いから、白い帽子をかぶって出るのですよ』
 小さい弟を悲しませないように普段と変わらない言葉でそれだけ言ってから母は亡くなりました。」
 「ある時思いきって聞いてみたの。『お母さんにはほくろがあるのに、どうして私にはないの?』
 『まりこちゃん、これはね泣きボクロっていうのよ、お母さんは病気になって、自分のやりたい事ができなかったでしょう。だから泣きボクロ。まりこちゃんはそんな事にならないように、ホクロの変わりにエクボをつけてあげました。いっぱい幸せにになるように二つもつけてあげたのよ』」

 毎日まいにち仕事に追われ、すっかり自分を失ってしまっていた会社生活。私の頭の中は仕事の事でいっぱいでした。
 そして会社をリタイヤしてようやく、自分を見つめ直す時間が持てるようになりました。

 題名の「母」を見て、私は自分の中に心惹かれるものがありました。
 そして、「そうだ、誰にも母親はいるのだ」と気づきました。

 最初からインパクトのある話が出てきて、私は釘づけになっていきました。
 この本は著名な14人の女性の母親の生き様や、その人のポリシーが書かれていて、結構のんびり屋のお母さんや、大変苦労されている方もおられました。
 ただ共通して言えることは、どの人の母親も学識と信念があるという事でした。

 更にむさぼる様に読んでいくと、多くの事が私の母と重なっていきました。
 乾燥しきっていた私の心も段々と潤ってきて、いつの間にか、感動をして涙も出ていました。そして、私はやっと人間らしくなれたと思いました。

 私の母は、大正生まれで、あの悲しい太平洋戦争の経験者でもありました。
 貧しい父とは異なり母は裕福な家庭に育ったらしく、高等女学校を卒業し、学校の先生の資格を持っていました。当時女学校まで行く人は少なかったようです。
 そんな母でしたから、読み書きソロバンは勿論、中でも裁縫は卓越していて、人の花嫁衣装などよく作っていた事を覚えています。弱点といえば農業がまったくできなかった事で、随分と父は苦労したようです。

 日本が戦争に負ける寸前の時、姑のいじめにあい、空襲の真っ只中、兄を連れて北九州に帰った事。さっきまでいた駅舎が空襲でなくなった事など、生と死の狭間を父と共に歩んできた母。
 私が小学校に入ると同時に父が営む会社で働き始め、その後30年近く仕事と農業に力を注いできました。

 私はそんな母に「ありがとう」と言うことも、手を握ることさえもできませんでした。
 どうして、こんな簡単な事が言えなかったのか。この事がずっと私の心のキズとして残っています。

 母は私に迷惑を掛けないようにと、いつも気にかけてくれていました。そんな母は、98歳まで頑張ってくれました。
 父がなくなってから38年、淋しかった日々の記録は母が残した多くの手記にぎっしりと詰まっていました。

 母は教訓めいた事は言いませんでしたが、勉強に必要な費用には一切文句を言いませんでした。
 口癖は「やれるのは、若いときだけ…」。

 この本を読み、私はやっと自分に戻れた様な気がしています。

(1333字)(25歳、女性)


 ●使用図書


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