橘葉「ピュアシフト」(あまんきみこ『きつねのおきゃくさま』)
いつだって、不純な動機は大歓迎だ。
「コンクール入選? はい、地区予選ですけど。ありがとうございます。いえ、ピアノなんて好きではありません。むしろ嫌いだし、練習なんて苦痛です。でも、毎日みっちり2時間の練習で小遣いがもらえ、1週間で課題曲が合格できるとボーナスでしたから。それになにより、チヤホヤしてくれるから。両親も教師も褒めてくれ、級友から羨望の眼差しを向けられるのは快感です。チヤホヤしてくれるから、苦しい練習を続けられます」
「えっ、大学はネームバリューで決めましたよ。人に言って、『ああ、そこ、名門じゃない!』って言ってもらえなかったら意味ないでしょ。だから、人の命とか、命を守るとか、そもそも医療にそんなに興味ないです。医学部にいったらチヤホヤされるから。試験勉強は大変でしたよ。まさに青春を棒に振った感じ。でも、定期試験や模試の成績が良いと、両親も教師もチヤホヤしてくれて。級友から、嫉妬と憧れの中で一目置かれるのは最高ですし。チヤホヤしてくれるから、机にかじりついて勉強ができたんです」
好きが高じてプロになった、純粋な好きが極まって成功を収めた、なんていうピュアなストーリーが嫌いだ。
理由は簡単。ただの卑屈な凡人の嫉妬心。もし、もっと不純な動機で事を始め、成功を収めた人がいるなら、それを堂々と紹介してほしい。
そしてそれが、本書のきつねだ。
きつねは、食欲を満たしたいという、本当に根本的な欲求の一つを満たすために、優しく親切な神様みたいなお兄ちゃんになったのだ。
もし彼が、か弱い小動物たちを守るためにという、そんな体裁を取り繕ったような美しすぎる理由でオオカミと戦っていたら、わたしはきっと、きつねを可哀そうとも勇敢だとも思わなかっただろう。なんの共感もなく、むしろ嫉妬し、嫌いになっただろう。
「子どものころからサッカーが好きで、夢中でやっていたら、プロの道が自然と開かれました。プロになりたいなんて思ったこともなかったです。ええ、練習を辛く感じたこともないです。大好きですから、サッカー」なんて、爽やかな笑顔で言っているきつねを想像してみる。イライラする。凡人は、僻みと妬みの表情を隠すため俯いて耳を塞ぐだろう。
だから、もしピュアなきつねだったら、彼の活躍なんてさらっと読み、「はい、おしまい」と本を閉じたと思う。
きつねは不純だった。
きつねは、不純な動機から動物たちを育てることを始めた。それなのに、無邪気なひよこやうさぎ、あひるが、きつねの行動に応えてくれるうち、その行動自体に価値を見出したのだ。優しくすること、親切にすること、勇敢になることに。
不純な動機が清らかなものへと昇華した。このピュアシフトが凡人の心を打った。
子どものころから、賞賛されることを求めた。好きなこと、すばらしいと思えることより、どうしたら親や教師から褒められるかを探した。「チヤホヤされたい」だって立派な動機だ。社会的承認欲求を満たしたいという、根本的な欲求に過ぎないじゃないか。それこそ、きつねの「まるまる太らせてから食べたい」と同じだ。
なわとび100回、テストで100点。不純な動機で始めた「褒めてくれアピール」は、行き詰りながらも、凡人をなんとか成長させてくれた。それでも賛美されるのは成功者だ。彼らはこぞって「好きなことを頑張りました。好きなことをやっただけです」というのだ。
好きでもないことを頑張るのは辛い。けれど、その先に賞賛という誉があることを信じる。不純な動機で、醜くもがく。もがいて、あがいて、もんどり打つうちに、それがいつしか羽ばたきに変わり、鳥の始祖が飛翔を手にしたように、大空を自由に飛び回れるのだろうか。羽ばたくこと、風を切ること、その行為自体に、楽しい美しいといったピュアな喜びを探せるのだろうか。
目指すゴールが不純でも、プロセスに価値を見出せることがあるから大丈夫だよ、ときつねが言ってくれた気がした。「君が言うほどもがいていないよ」と、分不相応な夢を指摘し、努力の欠如と徒労自慢の過大評価に呆れながら。
「周りの評価を気にせず、自分の好きを突き詰めなさい」と言われるより、「チヤホヤされるように頑張ろう」と言われる方がすっきりする。それを、堂々と示してくれたきつねが好きだ。最後は悲しい終わりを遂げたが、優しく親切で神様みたいな、そのうえ勇敢なきつねは、本当に凡人のヒーローだ。
これからも、わたしは不純な動機で日々を頑張るだろう。不純な動機で毎日を懸命に生きたいと思う。それでもきつねは応援してくれると信じている。そして、ピュアな輝きがいつか見つかることを、私は信じている。
(1,886字)(38歳、女性、愛知県)
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