第5回コンクール 優秀賞作品


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読書家 千夏「本を焼くということ」(有川浩、徒花スクモ『図書館戦争』 )


 「本」について持つイメージは人それぞれだろう。
 ある人にとって、本は好奇心を満たしてくれる魔法の小箱かもしれない。また別のある人にとっては、本は小難しく近寄りがたい、単なる紙の集合体であるかもしれない。
 私にとって本とは、新しい知識や考え方を学び、世界の真理に近づくための無限の可能性を秘めたツールである。

 私は幼い頃からずっと読書によって、自らの可能性を広げてきたと自負している。
 私も主人公の郁のように、本を読むことを周囲から揶揄されたことは何度もあった。しかし、そうしたノイズを気にすることなく本を読み続け、心に響いた考え方を取り入れ、行動につなげることで今では複数の会社を経営させていただけるようになった。人生の目標達成にはまだまだ遠いが、それでも今の私があるのは本のおかげだと思う。

 本を愛し、本とともに成長してきた私は、初めて書店で「図書館戦争」というタイトルを目にしたとき、それを看過することができなかった。「図書館」「戦争」という単語から、本のために命を懸けている人たちの物語が描かれていると思ったからだ。

 あれから10年が経ち、その間に私は結婚し、子どもを授かった。妻が育児のために里帰りし、私が孤独に本棚を整理しているとき、本書の背表紙が目につき、なんとなく再読してみたくなった。

 正直、本書のストーリーは捻りも少なく、ベタな展開だと感じる。個人的にはラブコメ要素ももっと少ない方がいい。しかし、人間の本に対する考え方、本を奪う側と、命を賭けて守る側の立場、そうした設定が包摂しているメタファーは素晴らしく、見事に本質を突いていると思う。

 作中で、良化委員会は問題図書をぞんざいに廃棄しようとする。彼らが本に敬意を払うことはなく、表紙が折れたり、曲がったり、破れたりしても、それを気にすることはない。そうした光景を想像すると、私は全身の血液がざわついてしまう。「本が焼かれるところでは、いずれ人間も焼かれるようになる」という言葉を思い出すからだ。

 この言葉は、かつてナチスが焚書を行ったドイツのベーベル広場に書かれている。本が、独裁的権力者の一方的な暴力によって奪われるのは、言うまでもなくこの作品に限ったことではない。彼らが言論弾圧のために本を焼くのは、人間を虐殺するよりも、そうした方が民衆から反対の声が上がりにくいからだろう。しかし、それらの行為は若干のタイムラグがあるだけで本質的に同じことなのだ。

 世の中を変えるほどの大きな可能性を秘めているにも関わらず、自ら抵抗する術を持たない本たち。私は本書を読んでいるうち、それらに幼い子どものイメージを投影している自分に気がついた。温かいベッドで、柔らかなベビー服に包まれ寝息を立てている我が子は、まだ一人で立ち上がる力を持たない。しかし、その内にまだ見ぬ可能性を秘めている。

 この作中で語られている「本」は一人ひとりの人間そのもの、そして未来への可能性の象徴であると考えていいだろう。一人の人間が尊いように、一冊の図書もまた尊い。だからこそ、権力に屈せず、命を懸けて本を守ろうとしている図書隊の行動が尊いと感じられるのだ。

 私も図書隊のように本を守る側、すなわち人間そのものを守る側でありたい。そして、次世代に可能性をつなぐことのできるリーダーを育てることができるような人間になりたい。自らの立場を守るために反対意見を封殺するような暴君は、もう世界に必要ないのだ。
 それらを実現するためには、まずは自分が模範となるリーダーになることが必要なのは言うまでもない。この本を読んで、そんな風に思いを新たにすることができた。

(1496字)(40歳、男性)


 ●使用図書


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