第11回コンクール優良賞作品


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橘葉「許与」(あまんきみこ『名前を見てちょうだい』)


 言いたいセリフがある。
 「あたしの ぼうしを かえしなさい」と、何の躊躇も不安もなく、堂々と言いたい。

 えっちゃんが自身と同じ赤い帽子を被ったきつねや牛と出会ったとき、迷いなく自分の帽子だと主張した姿に驚いた。
 帽子が飛ばされた方向にいたとはいえ、偶然、同じ帽子を持っていただけかもしれない。それなのにどうして、それが自身の帽子だと確信できたのだろうか。
 
案の定、これはわたしの帽子ですよと、各々の動物から否定される。名前が書かれているでしょ、と証拠まで突きつけられる。
 しかし、えっちゃんは謝らないのだ。

 大男に対しても態度を変えないえっちゃんは、勇敢で正しいヒーローだ。しかし、何の裏取もなく自分の帽子だと確信し、主張できる勇気はどこから来るのだろう? つい先ほど、きつねや牛から否定されたばかりだというのに。
 
「あたしの ぼうしを かえしなさい」と言い放つえっちゃんの姿に、正直、狂気すら感じられた。

 もし自分だったら、「すみません。帽子が飛ばされてしまって。あなたと同じ赤い帽子なのです。もし出来たら、確認をさせてもらえませんか? えっ、お名前が書かれている? それは大変失礼いたしました」と、もっとずっと遠慮して、卑屈なくらい下手に出てしまうかもしれない。もちろん、きつねに対しても、牛に対しても、大男に対しても。
 もしかしたら、コソコソと後をつけていって、再度の突風を期待するかもしれない。そして、風に舞い上がった帽子を恩着せがましく追っかけ、したたかに名前を確認するかもしれない。後で、「こいつ、何を言っているの? 人の帽子を自分のだなんて言っちゃって」と嗤われるのも、冷ややかな白い目で見られるもの嫌だから。
 
えっちゃんに不安はないの?

 著者のあまんきみこさんは、満州を経験しているそうだ。
 ソ連兵から身を隠し、髪を剃って坊主頭となり、なんとか日本へ帰還できたとのインタビューを新聞で読んだとき、子供と一緒に音読した『名前を見てちょうだい』を思い出した。
 満州への、遠藤誉さんの『卡子』や山崎豊子さんの『大地の子』で知り得た印象と、えっちゃんの姿とを脳裏に重ねた。すべての理不尽や不条理を包み込むほどの強さで、何の迷いもなく、絶対の確信を持って「あたしの ぼうしを かえしなさい」とえっちゃんが断言する姿が雄々しく映る。

 大人はいつだって不安なのだ。
 母親だって例外ではない。子どもの教育、子どもの生活について、「お母さんの言うことを聞きなさい」と言っているように聞こえるかもしれない。「お母さんは絶対だから」という態度を示しているかもしれない。
 でも、不安なのだ。本当にこれでいいのか分からない。巷にあふれる啓発本、子育て本、教育アドバイザーのウェブサイト。正解も分からないまま子どもに強要していないだろうか。

 母も社会にでれば小さな会社の薄給の会社員だ。
 他部署からの影響とはいえ、プロジェクト方針が変われば、自身の発言もコロコロ変わるリーダー。彼は「私はブレてないから」とうそぶく。「時代の流れに柔軟に対応しているだけ」と言い張るマネジャー。彼らの理想にわたしは振り回され、彼らの夢はわたしを喰おうとさえする。
 それでも彼らは言うのだ。「あたしの ぼうしを かえしなさい」と。強い信念で自身の正当性を主張するのだ。自身の過ちの可能性なんて露とも疑わず。

 でも、それでいい。
 未来に起こり得る誤りも、体裁の悪さも、それをごまかすであろう身勝手さも。すべての理不尽を包み込んで、すべてに許しを与え、「あたしの ぼうしを かえしなさい」が響いてくる。
 事実、こんな愚痴めいたことを思いながらも、このセリフに守られ、導いてもらえることには感謝しかない。

 不安な時、自信がない時、それでもやらねばならぬ時、「あたしの ぼうしを かえしなさい」と言い切ってみよう。
 「ごめんね」「あのね」「こうしてもらえると嬉しいな」と言いながら子どもたちの目を見つめ、納得と自発を促せたいと願う。それでも、着替え、食事、入浴、宿題、習い事と予定は迫ってくる。
 時間は流れる。チッチッチ。非情に時が刻まれる。時限爆弾のスイッチみたいに突然、子育て本から入手したフレーズが、「ぐいぐいとでも引っ張っていかないと、あなたたち動かないでしょ」と、所謂母親のヒステリーセリフに変わる瞬間もある。
 これが母の「あたしの ぼうしを かえしなさい」だと思って、許してくれるだろうか。

 確固たる信念。強い意志。無根拠の自信。堂々と己が信じる道を進むことを、えっちゃんがきっと、許してくれる。

(1,839字)(38歳、女性、愛知県)


 ●使用図書


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