第11回コンクール優秀賞作品


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翔間三桜「福島プライド」(門田隆将『記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞』)


 「そういうことだったのか。」
 門田隆将氏の本を読んだとき、長年の謎が氷解した。そして、福島プライドに胸が熱くなった。

 私は、10年前の東日本大震災で被災した。
 余震の続く中たどり着いた我が家は、めちゃくちゃだった。涙をこらえて片付けをし、洋服を着たまま布団に入った。
 不安な一夜が明けた朝、ポストにはいつも通り新聞が届いていた。それを見た時、「ああ、日本は大丈夫。町は動いている。」 そう思ってとても安心した。

 震災の翌日、2011年3月12日(土)の読売新聞と福島民友新聞を私が大事に取っているのは、2つの新聞が、記事も写真もほぼ同じ内容で構成された不思議な新聞だからだ。
 一面は二紙とも、横に「東日本巨大地震」の大きな見出しが書かれており、宮城県名取市を上空から撮った写真が使われている。二面の大きな見出しと車が流されている気仙沼市の写真も同じ。民友新聞三面にいわき市小名浜港の写真が一枚あるが、その周りの記事はこれまた読売新聞と全く同じだ。

 なぜなのか。私はずっと疑問に思っていた。
 まちがい探しをするように見比べると、読売の編集手帳と民友の編集日記、社説、テレビ欄は違う。
 民友新聞一面左隅の「おことわり」に「本日の朝刊紙面は、地震のため、読売新聞東京本社の協力により、緊急時特別紙面を発行致します。」とあったので、緊急だからと変に納得もしていた。
 しかし、この本を読んで、あの新聞が混乱の中で被災した福島県民に向けて書かれたものであり、民友の記者たちの福島プライドで作られたものであったことを知った。

 あの日、取材の最前線で命を喪った24歳の新聞記者がいた。本書は、連絡の取れない彼の安否を心配しながらも、新聞記者としての職務を全うしようと走り回る記者たちの証言で進んでいく。

 地震直後、民友本社は停電になり、新聞社としての機能を喪失した。電話も通じず、メールもFAXも送れない。道路も渋滞で動かない。
 新聞社にとって、新聞が出せないこと、つまり「紙齢が途切れる」ことは、あってはならないことだった。読者の信頼を裏切ることにつながるからだ。記者たちの焦りが、読んでいる私にもドキドキと伝わってきた。
 その危機を救ったのは、偶然別々に東京に出張していた二人の民友記者の存在だ。「誰かには届くだろう」と祈りにも似た福島本社からの一斉メールは、東京の二人に届いた。そして、「新聞作りを読売でお願いしてください。」という文面で、最悪の事態を悟った。

 さっそく、2人は東京で読売新聞の紙面を複写してもらう。これを「福島民友新聞」の題字に代えれば「欠号」は免れる。しかしここで、「少しでも独自の紙面に近づけたかった」と民友の記者たちは動いたのだ。
 まず、福島県民に向けて「おことわり」を入れさせてもらう。そして、民友執筆者の手による「私たち福島県民にとって」という書き出しの社説と編集日記に差し替えてもらった。
 さらにこだわったのが、最後の紙面に載る4コマ漫画だった。「漫画?」と私も驚いたが、確かに『コボちゃん』は読売新聞のものだ。これを民友の『カンちゃん』の4コマ漫画に差し替えたという。私は慌てて戸棚から新聞を取り出し確認した。カンちゃんの素朴な絵に地元紙のプライドを見た気がして、胸が熱くなった。
 小名浜の写真のことも書かれていた。あの写真は、海に向かった記者が命がけで撮った写真であり、福島県民に早く状況を伝えようと、ありとあらゆる通信機器を使って本社に送った貴重な情報だった。傾いたカモメの看板や濁った水面に浮かぶトラックの荷台やコンテナは、津波の凄さを物語り、大震災の状況を見事に読者に届けることに成功した。まさに使命感に満ちた写真だったのだ。

 新聞を配る側の人たちの証言もあった。浜通りの民友読者の中には、放射能による避難から半年たって一時帰宅した際、3月12日付の新聞がポストにあるのをみつけ、感動した人が少なくなかったそうだ。「読む人が避難した主なき家に、それでも新聞は配られていたのである」という文章を読んだとき、自身も被災者でありながら、読者のためにと新聞を配達した人達もまた、福島プライドを持った人たちだったと思った。

 この本を読んで、長年の2つの新聞の謎が解けた。そして、震災の翌朝、新聞を手にとった私が、不安の中から大きな安心を得て、現実に向き合う勇気を持つことができたのは、絶体絶命のピンチの中でも被災した福島県民のためにと必死で新聞を作った人たちがいて、余震の続く寒い中、自らも被災者でありながら、一件一件の家に新聞を届けてくれた人たちがいたおかげなのだと知った。

 まだまだ福島は復興半ばだ。でも、福島を思う人々がいる限り、福島は負けない。
 私も福島プライドを持ち続けよう。そして、いざというとき、誰かのために動ける人間になろう。この本を読んでそう強く思った。

(1,974字)(53歳、女性、福島県)


 ●使用図書


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