第12回コンクール特別優良賞作品


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樽井類「好きな本」(江國香織『流しのしたの骨』)


 これまでの人生で触れてきた物や人物が、その人の価値観だったり人生に大きな影響を与えていることはいうまでもない。幼少期から長い年月をかけて蓄積された感情や経験が、知らず知らずのうちに私たちの生活に根を張り人格を形成している。
 初対面の人間と距離を縮める方法の一つに趣味の話というものがある。転校初日のクラスメイトも合コンに参加している男女も、決まって名前の後には趣味を紹介する。それは趣味が自己を他者に知ってもらうには一番手っ取り早いからである。もしそこで趣味が合致する人に出会えたなら、一気に距離は縮まるであろう。
 趣味以外にも仕事の話や家族の話、嫌いな食べ物から果ては血液型まで、他者と理解を深める方法は多岐に渡る。その中でも私が最も相手のことを深く知ることができると考えているのが、「好きな本」である。読者を驚かせ、感動させ、時には怒らせることで夢中にさせる登場人物のどこを好きになったのか、または嫌いになったのか。その本の中の好きなシーンやセリフを聞いている時、私は相手の家の中をこっそり覗いているような感覚を覚える。
 目に見えることのない文字で表現された世界のどこに惚れ込んだのかを想像することは、相手の価値観を量ることと似ている。好きなスポーツや有名人などの外殻をわかりやすく表現した「好き」に比べ、心情が語られる本の中の文字は相手のより深い「好き」を知れるような気がするのである。

 さて、ここまでお付き合いいただいて大変申し訳ないが、今回取り上げた『流しのしたの骨』の内容と、これまでつらつらと述べてきた「好き」に関するお話には全く関係がない。本書はちょっと変わった六人家族、宮坂家の約1年をゆったりと描く物語であり、初対面の距離を縮めるテクニックがつまったハウツー本ではない。
 では、なぜこんな話をしたのか。それはこの『流しのしたの骨』こそが、私が熱中しているアイドルグループの一人が「好きな本」だからである。いわゆる推しの推し本。読書好き兼アイドルファンとして読まないわけにはいかなかった。

 外殻が重要視される偶像的存在であるアイドルは、時に私生活や感情を伝えることでファンとの距離を縮める。ただし、それらはある程度綺麗にラッピングされたものであり、ファンもそれを分かって楽しんでいる。
 しかし「好きな本」というフィルターを通した時、ラッピングは剥がされ、本人の性格や価値観がストレートに伝わってくる。それは本という装置が多くの場合、心情を雄弁に語ることを主題に作られたものだからである。本の中で語られた心情に影響を受け、その本が大切な一冊になった時、その人にとっての名刺代わりになると言っても過言ではない。
 では、本書を「好きな本」であると公言している彼女は一体どんな人なのだろうか? 私はおそらく彼女は本書の主人公「こと子」に共感と憧れを抱いているのではないかと推測した。こと子は宮坂家四人姉弟の三番目、主人公でありながらどこか浮世離れした雰囲気を纏う19歳の女の子である。本書の中ではこと子の周りで大小様々なイベントが起こるが、彼女は基本的に深入りをしない。無関心というわけでもなく、ただ常に自分オリジナルの視点や立場から手を差し伸べるのだ。その相手が家族であっても。その優しさは一時的な感情のたかぶりによるものではなく、冷静な判断からなされるものであるから、受け取った人はどこか安心感を覚える。
 そんな芯の通ったこと子に近いものを、アイドルの彼女にも感じた。自分の中に独自の価値観を持ち、大人数のグループの中でも中立的な位置からチームを支える。思い返してみれば彼女の纏う雰囲気は、こと子ににているような気がする。本書が彼女に与えた影響なのかも知れない。直接好きなシーンや登場人物を聞いたわけではないから推測の域をでないが、私はこの本を読んでそんなことを感じ、テレビで見ている彼女のどこかぼやけていた輪郭が少しはっきりとしたような気がした。

 その人の好きな本を読み、その人について思いを馳せる。直接本から得られる楽しみを摂取するだけではなく他者に対する想像を膨らませるこの行為こそ、最高の読書体験であろう。
 もしあなたが初対面の人と話をする機会があり、その人のことをよく知りたいと思ったなら、好きな本を聞いてみることをお勧めする。好きな本は目に見えないその人の持つ価値観や考えをあなたに教えてくれる。
 ちなみに筆者が一番好きな本は伊坂幸太郎著の『砂漠』である。あなたは私をどのような人間だと思うだろうか?

(1,850字)(22歳、男性、東京都)


 ●使用図書


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