鷹匠亮「人生の砂時計」(中井由梨子『20歳のソウル』)
「生きているうちに、善き人たれ」
この言葉はローマ皇帝で哲学者でもあるマルクス・アウレリウスが書いた『自省録』に出てくる一文である。
私は、本書を読み終えた時、悲しさや悔しさの入り混じった複雑な気持ちと共に、このアウレリウスの言葉を思い出した。
この言葉は正確には「あたかも一万年も生きてるかのように行動するな。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ」と日本語で訳されている。
本作の主人公浅野大義君は、病を患いわずか20歳という若さでこの世を去った。
「自分は生きよう。最後の瞬間まで。やるべきことは生ききることだけ」
病に何度も倒れ、自分の死期が近いことを悟れど、彼はこの言葉を発し、愛する人達と大好きな音楽、そして自分の人生に向かい続けた。
私は、仕事で人の死に触れる度、我々人間に与えられた時間というのは、「中味のわからない砂時計」みたいだと思った。
砂はゆっくりと、しかし確実になくなっていく。やっかいなのは、「いつ」自分の砂が尽きるか誰もかわからないところだ。
私は今までその砂は多ければ多いほど、良いものだと思っていた。しかし、本書を通し、浅野大義という青年に出会い、その考えは大きく変わった。長生きが良いとか悪いとかそういうことではなかったのだ。
大事なのは、砂の「量」ではない。その砂がどんな「色」をしているのかが大切なのだ。私は、そのことを浅野大義君の生き方から教わった気がする。
浅野大義君の砂は普通の人に比べればたしかに少なかったかもしれない。しかし、彼の砂はキラキラと誰よりも美しい輝きを放ちながらこぼれ落ちた。そしてそれは、周囲の人間を魅了し、彼の周りに自然と人を集めた。
彼が高校時代、吹奏楽部で作り上げた応援歌「市船ソウル」が、彼の死後もアルプススタンドでたくさんの後輩達に愛され今も演奏されているのは、単に楽曲の素晴らしさだけではなかったと思う。浅野大義という一人の人間の生き様、彼の音楽に対する情熱がきっとそうしてるのだ。
自分がどれだけ素晴らしい技術や知識を持っていたとしても、死を迎え、身体が消滅すればそれら素晴らしきものも消えてしまう。しかし、浅野大義君のように、何かの形で、自分の情熱を次の人達に繋いでいくことができれば、自分がこの世からいなくなっても、誰かの一部となり、生きることができる。それは時や時空を超え、「今を生きている」という一つの形だと思った。
私たちが、学校で勉強したり仕事で知識、技術を深めたりというのは、全て誰かにバトンを繋いでいくためなのではないかと思う。私たちもまた、誰かから渡されたバトンを今、この手に握っているのだと言うことを彼から教わった気がした。
「大事なことは自分がどうするかだ。一日一日を薄っぺらく生きるのか、分厚く生きるのか」
これは彼の吹奏楽部の顧問である恩師の言葉である。浅野大義君や吹奏楽部員に向けた言葉であるが、まるで今の私に向けられた言葉でもある気がした。
病に侵されても、音楽に情熱を注ぎ、大切な人達を愛した彼。握りしめたバトンを家族、恋人、仲間と多くの人に手渡しこの世を去った彼。それに比べ私は渡されたバトンなどどこかに閉まいこんで、仕事はそこそこに、余暇では意味もなくスマホをいじり、無為な毎日を過ごしてきた。
アウレリウスの言う、一万年も生きているように錯覚し私は日々を過ごしていたのだ。
本書を読み、私は強く思った。私だって何かを残したい。今を生きたい。私も本書を通じ彼からバトンを貰った一人なのだ。浅野大義という会ったこともない青年が、私に渡してくれたバトンを私も誰かに繋ぎたい。
物語の終盤、浅野大義君の葬式では、式場が溢れるほどの知人や吹奏楽部の仲間が訪れ、涙を流しながら彼が作った「市船ソウル」を演奏した。演奏する彼ら一人一人の中に、奏でる音の中に、浅野大義君は生きているのだと思った。
私はどういう風に生きたいのか。未だ答えははっきりしない。けれど浅野大義君や先人達が時に命を懸け繋いでくれたバトンを今を生きる私たちは無駄にしてはいけないのだ。
迷いながら生きる私に、浅野大義君の生き方や彼の恩師の言葉は、灰色だった私の砂時計に深く染み渡った。迷いながらも、今出来ることを精一杯する。立ち止まりそうになったときは、「市船ソウル」を口ずさみ、その疾走感に乗ろう。
「攻めろ、守れ、決めろ、市船」
人生の9回裏まで全力で走り抜ける。
延長戦? 上等である。
(1,810字)(37歳、男性、和歌山県)
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