第15回コンクール優良賞作品


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おまめ「両親からの贈り物と油揚」(吉野源三郎『君たちはどう生きるか』)


 「何になってもいいから本物になれよ」
 成功者の半生を描いたドキュメンタリー番組を、リビングで缶ビール片手に寝転がって見ている父が、私に呟くように言った。当時10代だった私は酔っ払いの戯言だと思い、「うん」と空返事をした。当時は、「本物」になれるという根拠のない自信もあった。
 時が経ち、20代後半になった。父はこの言葉のことなどもう覚えていないだろうが、私には呪いのようにまとわりついている。大人になる過程で自分には逃げ癖があることを知り、そんな自分を否定しようと高熱で倒れるまで働くこともあった。それでも日々は忙しさの中で過ぎ去るばかりで、「本物」は遠のく一方である。

 『君たちはどう生きるか』は、コペル君というあだ名の15歳の少年が、学校や日常生活の中で様々な経験をし、叔父さんとの対話を通して、精神的な成長をしていく物語である。
 私は、宮崎駿監督の同名映画の鑑賞を機に、そういえば実家に文庫本があったと、本書を手に取った。この文庫本は10代の時に母から譲られたものだった。私はいつか読もうと思いながらも、タイトルの説教臭さからか30手前の今になるまでこの本に手を付けられずにいた。

 物語の中で、コペル君は浦川君というクラスメイトとの友情を深めていく。
 浦川君は貧乏な家庭に生まれ、勉強も運動もできない鈍くさい人間だ。クラスメイトたちは、彼の家が豆腐屋でお弁当にいつも油揚が入っていることから、彼を油揚と呼んで小馬鹿にしていた。
 しかし、とあるきっかけでコペル君が浦川君の家の豆腐屋を訪れると、学校での姿と全く異なる彼の姿を目にする。彼は母親と共に店に立ち、長い箸を器用に使い油揚を作っていたのだ。学校では軽く見られがちな浦川君が、豆腐屋という彼の置かれた環境の中では、立派に自分の仕事をしていた。
 何不自由のない生活をしてきたコペル君は、自分と全く異なる環境で懸命に生きる浦川君の姿に、自分の大好きなプロ野球選手を重ねてしまうほど圧倒される。コペル君は、浦川君の姿に「本物」を見たのである。
 私は、浦川君の姿から「本物」になることは、何か特別なことをすることではないと気づかされた。油揚を揚げるという、浦川君にとっては日々の当たり前の仕事を懸命にこなすことが、コペル君の心を動かしたのだ。

 『君たちはどう生きるか』の中には浦川君の他にも、異なる境遇の中で精一杯に生きる登場人物が登場する。頑固で遠慮を知らない北見君は、浦川君を冷やかす同級生たちに一人で向かっていく勇敢さがあり、裕福な家庭で育ったかつ子さんは気品に溢れ、過去の偉人に真摯に学び、生き方の指針にしようとする知識欲に満ち満ちている。コペル君はそれぞれの人の生の一端に触れながら、それぞれ異なる周囲の友人の魅力に気付き、自分自身の生き方を模索していく。
 翻って、自分の人生のことを考えると、私の人生も人々の懸命な生の一端との交わりの中で成り立っていることに思い至る。父の言葉や母から譲り受けた文庫本も、その交わりの一つである。ただ、それはドラマチックな交わりではない。当時の父は酔っ払っていてドキュメンタリー番組の雰囲気に乗せられて調子のよいことを言っただけだろうし、母は『君たちはどう生きるか』がどのようなストーリーかも覚えていなかった。
 両親からすれば、それらの私への贈り物は浦川君が油揚を揚げることのように、何てことない日常の一場面に過ぎなかったのかもしれない。しかし、私は両親の懸命な生の一端に触れていた。日常から垣間見える父の仕事への姿勢や、弱音一つ吐かずに子ども3人を育て上げた母の愛と強さへの敬意があった。だからこそ、父の言うことなら頑張らなきゃと、母が託した本ならいずれ読もうと、10代にもらったものを10年以上大切に持っていられたのだと思う。

 両親からの贈り物が時を経て語りかける。
 「君たちはどう生きるか」「何になってもいいから本物になれよ」
 小説やドキュメンタリー番組のように劇的な瞬間は、現実には少ない。まして、現代社会においては、仕事が高度に分化され、自分の仕事が他者の役に立っていると感じたり、他者の懸命な仕事への有難みや凄みを感じたりする機会は、
より少ないのかもしれない。
 それでも、本人にとっては何でもない、しかし熱のこもった仕事が思いがけないところで他者に影響を与えることがある。父がただ「本物になれ」と言わず、「何になってもいいから」と言ったのは、油揚を揚げるような平凡に見えることでも一所懸命に向き合うことで、「本物」になれることを伝えたかったのかもしれない。

 どうしたら「本物」になれるかは、いまだによくわからない。ひとまずは、浦川君に倣って目の前の仕事に再び心血を注ぎ、コペル君に倣って周りの人の真剣な生に学びながら生きてみようと思う。
 そして、両親からもらったように、私も誰かに何かを贈ることのできる人になりたい。

(1,994字)(28歳、男性、神奈川県)


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