第15回コンクール優良賞作品


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木綿生糸「『不在』を生きる」(彩瀬まる『不在』)


 「私はいったい誰なんだろう」
 この印象的な一節でピンときた。私は一度この本を読んだことがある!  そう思って本を閉じようとしたが、自分の経験と重なり瞬く間に読破してしまった。

 「家族から愛されていない」と感じていた主人公、錦野明日香。ある日、疎遠だった父が突然亡くなってしまう。彼は家と土地を彼女に、600万円を兄に相続するよう、遺言状に記していた。文末には「私の死後、明日香を除く親族は屋敷に立ち入らないこと」と添えて。
 「家族から愛されたことがない」と考える根本的な要因、それは兄の存在だった。勉強ができる兄。音楽的才能がある兄。代々医者を営む家族からの期待を一身にうけた兄は医学部に進学するという形でそれに応え、今や2児の父親になっていた。
 一方、明日香は期待を兄に独占されたために家族から期待される経験を味わえず、未だ結婚もしていなかった。この経験は兄への劣等感を強める一方で、彼女の中に「期待の大きさ=自身の価値」という価値観を育んだのではないだろうか。 実際、「兄に、屋敷に入りたがって欲しかった」「この家から600万以上のお金をつくりだしたら、私の方が兄よりもいいものをもらった証明にならないだろうか」 といった言動は兄や父親の中に自身の価値を求めているようにみえる。

 彼女の言動に対して痛々しい印象を持ってしまうのは、自身の価値を他人からでしか見いだせないが故に、他人に固執してしまっているからだ。私にも優秀な妹がいたから彼女の心境がよくわかる。他者からの期待を満足に得ることができず、「自分に価値はない」という自己否定に陥ったときほど惨めな気持ちになったことはない。
 私は中学時代とにかく勉強が苦手だった。特に英語は学年で最下位を争うほどだった。一方の妹は勉強が得意で、調子のいい時は学年で10番台の席次をとったこともあった。そういう訳で、将来への期待はほぼ妹に向けられた。
 期待を抱いてもらえない自分に価値はないと思っていた私は価値のある人間になるため、難易度の高い大学を一般で受験した。難関大学に合格することで将来的に他者からの期待を得られると思ったからだ。しかし合格かなわず、「自分には価値がない」という現実を自らにつきつけてしまった。死にたくなった。
 しかし死ぬのが怖かった私は自死を選ぶためにさらに具体的な根拠を欲した。「結果が出なかったら死のう」、そう決めて私は妹も苦手だった英語で資格を取ることにした。文字通り必死に勉強した。だから資格をとれたときは家族や他人に褒められてうれしかった。さらに妹が英検の対策を私に頼んできたときは漠然と親族の期待がこっちに向く予感がした。そのとき初めて「あぁ、やっと自分の価値を認めてくれた。透明人間から解放された」と思えた。

 現在大学3年生である私は院に進学するか、就職するか悩んでいる。その際、ちらつくのは親族や友人の顔である。いつも他人の期待に飢えてきた私は、どの道を選べば彼らの期待に応えられるだろうと考えを巡らせてしまっていた。
 だからこそ明日香の「私はいったい誰なんだろう」という最初の一文が自分に刺さる。彼女と同様、私も他人にとらわれて、自分を見失っていた。

 物語の最後、他者から解放され自分の生を生きようと決意する明日香の象徴的なシーンがある。それは相続した家をレストランに改装することをめぐって叔父と対立する場面だ。叔父は電話で(明日香の考えに対して)「そう考えるのが間違いなんだ。(中略)もう大人なんだから資産をもっと全体的にとらえて」となだめる。しかし彼女は「間違えたって、いいんです」と叔父の言葉を一蹴し、電話を切るのである。
 たとえ選択が間違っていたとしても、自分が望むことなら、それでいいというのが彼女にとって「自分を生きる」ということなのだ。
 このシーンを読んだとき、自分が院進か就職で悩んでいたことがばかばかしくなった。なぜなら「他人からの期待」という色眼鏡が自身の選択肢を狭めていたことに気づけたからだ。
 色眼鏡を外せば選択肢は無限にある。それは何をどれだけ選んだっていい。間違えたっていい。自分で選んだものなら「間違い」を「正解」にすることだってできる。その判断に他人は存在しえないのである。

 自分で選択をするということ―そこに他者の「不在」が生じる。この「不在」の中を私も生きたい。だって「不在」を抱いて生きることが「自分を生きる」ということだと思うから。

(1,810字)(21歳、男性、埼玉県)


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