まるっぺ 「人生の閃光を求めて」(加藤シゲアキ『閃光スクランブル』)
現実は厳しく、残酷である。どうしようもない。生きているとそんなふうに思うことがある。
この本の主人公は、人気アイドルグループのメンバー・亜希子と、最愛の妻をスクランブル交差点での交通事故で亡くし、現在はゴシップカメラマンとして生計を立てる巧の2人だ。グループの世代交代に悩む亜希子は、大物俳優・尾久田と不倫関係にあり、その情報を手に入れた巧がスクープを狙う。そしてある出来事をきっかけに2人は出会い、思いがけない逃避行が始まる、という物語だ。
読んでいて、亜希子と気持ちがリンクする瞬間が多くあった。その中でも特に印象に残っている言葉がある。
「欲望とはヒビの入ったグラスだ。満たそうとして注いでも、永遠に裂け目から漏れ続ける。決して満たされることはない」
アイドルとしてプロ意識を高く持って活動してきた亜希子の心情を表した言葉だ。亜希子は真面目で努力家。それは周りの人たちも認めているが、続けていけばいくほどもっと認められたいという気持ちは強くなるものだ。
自分で言うのもなんだが私も真面目だけが取り柄だと思う。ありがたいことに学生時代から努力していることは褒めてもらってきた。
でも、それで十分とは思えなかった。周りには常にカリスマ的存在の人がいて、その才能や努力には到底勝てないのだ。そうわかっていながらも、そんな人たちへの羨ましさと自分だって認められたい、結果を出したいという気持ちがどんどん出てくる。
そして気づく。心の奥底で自分は認められるべき存在なんだと自尊心が芽生えていることに。理想や目標が高いことは決して悪いことではないが、私は少し自分のことが怖くなった。
でも努力することを止めるわけにはいかない。いつも不安で、焦って、必死で生きてきた私に、響いたセリフがある。アイドルの仕事を辞めることを決めた亜希子に巧が放ったセリフだ。
「世界の中心は自分じゃない。自分なんかいなくたって世界は平気な顔して回り続ける。だったら置いてかれてもいい」
絶望的なセリフのようにも聞こえるが、私はこのセリフに救われた。
ずっと周りの人に追いつかないといけないと思って必死だった。何も持っていない自分が努力したところで、それはあくまでもマイナスを0にするぐらいのものでしかなく、気づいた時には周りの人はレベル100ぐらいに到達しているような、そんな気持ちになることが多かった。
でもどうだろうか。時間は皆に平等に与えられているが、歩むスピードは人それぞれだ。そして、仮に置いていかれたとしても気にしているのは自分だけかもしれない、そんなに怖いことじゃない。ときに歩みを止めることがあってもいい。自分のペースで進んでいいんだと、そう思えたセリフだった。
物語が進むと、亜希子と巧はある出来事をきっかけに尾久田の関係者に終われ、逃走をすることに。そして最後には、渋谷のスクランブル交差点で亜希子を撮影する巧。巧はシャッターを押し続け、亜希子にフラッシュを浴びせた。警察に取り押さえながらも”またね”と言った亜希子に巧はまたシャッターを切った。
2人は逃避行の中で過去と向き合い、周りを取り巻く人たちに背中を押され本来の自分らしさを取り戻していった。自分や目を背けたい過去と向き合うことは決して容易ではない。だけど等身大でいられるように、もがきながらも逃げずに向き合い続ける2人にとても勇気をもらった。そして私もなりたい自分であるために、自分と向き合い続け、周りの人たちへの感謝を忘れずに生きていたいと思う。
最後に閃光スクランブルとは何かを考えてみた。それは、ラストシーンの巧の向けるフラッシュで照らされた亜希子のことなのだろうか。きっといろんな意味が込められているのだろう。
ただ、私はこう思う。たくさんの人が行き交う渋谷のスクランブル交差点のように、人生の中でたくさんの人と出会い、いろんな選択肢の中から自分の道を選び、自分だけが持つ閃光を見つけることなんじゃないか、と。
現実は厳しく、残酷である。きっとこれから先も生きているとそう思う日がやってくる。だけどたった一瞬でいい。人生の中で閃光のような光を見つけられるなら、私はまたここから歩いていける。この本を読んだ今、そう強く感じている。
(1,728字)(27歳、女性)
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