第16回コンクール優秀賞作品


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タカハシ「旅の思い出」(森見登美彦『恋文の技術』)


 「知っている書簡体小説はある?」と聞かれたら、あなたは何と答えますか。『あしながおじさん』などが有名でしょうか。登場人物たちの手紙のやり取りで物語が展開する小説をそう呼ぶらしい。
 今まで聞かれたことはないけれど、私だったら迷わず答える。「森見登美彦さんの『恋文の技術』!」と。

 森見さんの作品を読んだことがある人は、京都が舞台というイメージが強いかと思う。そうでもないですか? しかし、この作品の舞台は石川県能登半島。京都の大学院生・守田一郎が遠く離れた能登の研究所に飛ばされたところから物語は始まる。
 そこで彼は、文通の腕を磨くために、とにかく手紙を書く。恋に悩める友人に、色んな意味で強い先輩に、家庭教師をしていた頃の教え子に、時には実の妹に、これでもかというくらい膨大な量の手紙が書かれ、物語は進んでゆく。

 初めて読んだのは高校生の頃だった。読めば読むほど、守田一郎の書くひねくれた文章の虜になった。当時、所属していた文芸部の部長になってほしいと相談された際、「やむを得ぬ!」と手紙に出てくる一節を使って了承した痛い過去は忘れることができない。
 大学に入学して再読すると、実験の辛さやレポートの終わらなさなど、守田一郎の苦労や荒んだ心が痛いくらい分かり、高校の時よりもずっと身近に感じるようになった。それだけでも、自分の中では十分に大切な本だった。それが自分の人生を語るには欠かせないほどの大切な存在となったのは、人生初の聖地巡礼・ひとり旅がきっかけである。

 高校の時に本を読んでから、ずっと石川県に行ってみたかった。守田一郎が立ち寄った場所に行き、同じものを見て、同じものを食べてみたかった。私はすっかり守田一郎の大ファンだった。
 大学に入って少し自由になり、何度か旅行行程を組み立てたりもした。しかし、いずれも実行できず。地方に住んでいる身としては本当に石川県は遠かったのだ。お金も時間もたくさんかかる。そのうち、北陸新幹線が開業し、テレビの特集などで石川県が取り上げられる回数も増え、それが余計に私を焦らした。「行ってみたい」が「絶対行く」になったのは、この頃だったように思う。
 旅行行程を組み立てるのも楽しかった。何度も読んでいる本のページをひたすらめくり、地名や食べ物が出てきたら付箋をつけた。それをもとに石川の旅行情報誌を片手に路線検索をした。さすがにチェックした全てを回りきれる財力と時間はなく、泣く泣く取捨選択。守田一郎が泊まったであろう和倉温泉の旅館には絶対泊まりたかったので、交通費を節約した。東京までは、行きも帰りも夜行バス。東京からは新幹線。金沢にも1泊した。どこかを観光するより、乗り物に乗る時間が圧倒的に長い旅だった。それでも、本当に夢みたいな時間だった。
 羽咋では守田一郎みたいにUFOを探して歩いた。コスモアイル羽咋という宇宙科学博物館で色んなUFOの目撃情報に触れて、少し怖かった。マンホールやトイレのイラストも全部宇宙人だったのが可愛かった。和倉温泉に着いてからは、守田一郎が過ごしていたように総湯でお風呂に入り、温泉卵を作った。地元の人がスーパーで安く買った卵をパックで持ってきて温泉卵にしていたのが面白かった。和倉温泉の旅館は、もちろん豪華で、大学生の私はそれまで何の刺身が美味しいとかあまり考えたことがなかったけれど、そこで初めてブリの美味しさを知った。のとじま水族館にも行き、初めて生でジンベエザメを見た。ラッコもいた。守田一郎が追いかけていたイルカのお尻も追いかけた。家族へのお土産には、守田一郎がいつも文通相手に送っていた天狗ハムを買った。

 盛りだくさんの行程はあっという間で、終わってしまうのは悲しかった。ずっと行きたかったところを思う存分、堪能してしまい、夢から覚めたような寂しい気持ちになると思っていた。
 しかし、実際は違った。本を読み直した時の思い描く景色が立体的になる。辛い時にこの旅を思い返すと、元気が出る。ずっと大事にしていた「行きたい」という気持ちは行動に移してからもずっと自分の中でキラキラ輝いていた。旅行をしたことは今までもあったけれど、自分で考えて行動する面白さを感じたのは、これが初めてだった。良い旅は、思い出すたびに自分を勇気づけてくれるのだ。

 人の数だけ人生が変わる本というのはあるのだろう。私にとって、それは『恋文の技術』だった。守田一郎が私を縁もゆかりもない能登半島へと繋げてくれた。
 ありがとう、守田一郎。また、能登半島へ温泉卵を作りに行くよ。

(1,852字)(30歳、女性、青森県)


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