志真織結乃「あの時の私を、そっと本棚にしまうように」(名取佐和子『銀河の図書室』)
私は昔から、自分という存在に対してどこか不具合を感じていた。
音に敏感すぎたり、些細な一言に過剰に反応したり、人の表情や会話の流れをうまく読み取れなかったり。
ASDとADHDという診断がついたのはもう少し後のことだけれど、それよりずっと前から「自分はどこかずれている」と感じていた。
努力しても空回りし、他人との比較でしか自分の位置が測れない。
気づけば、自分を肯定できる時間はほとんど残っていなかった。
それでも日々をこなそうとした結果、心が壊れてしまった。
うつ病の診断を受け、何もできずに部屋にこもっていた時期がある。
眠れず、食べられず、ただ過去の記憶だけが延々と再生されるような時間だった。
過去の失敗や取り返しのつかない言動ばかりが浮かび、自分を責め続けていた。
何度「忘れてしまいたい」と思ったことか。
けれど実際には、忘れようとすればするほど、記憶は強くそこに居座った。
ある日、少しだけ気分がましだった私は、何の目的もなく図書館に立ち寄った。
静けさと紙の匂いが、私にとって唯一安心できる空気だった。
人影の少ない書架を歩いていたとき、ふと目にとまったのが名取佐和子さんの『銀河の図書館』だった。
表紙には、夜空の奥に銀河がひっそりと広がり、そのなかに浮かぶ図書館の灯が、深く静かな呼吸のように光っていた。
その美しさに、私は一瞬言葉を失った。
ただそこに立ち尽くし、手を伸ばすより先に、心が吸い寄せられていた。
この本は、今の自分に必要なものかもしれない。理由もないのに、そう思った。
物語には、「記憶を預ける図書館」が登場する。
忘れられない、でも抱えきれない記憶を、そっと”本”のかたちで棚に収める場所。
誰かに読まれることはないけれど、確かにそこに存在し続ける。
私はその設定に、言葉を超えた救いを感じた。
記憶とは、私にとって重荷でしかなかった。
でも本作では、記憶は消すべきものではなく、「別の場所に置くことができるもの」として描かれている。
その発想に心を奪われたのだ。
登場人物の中で、私がとくに共感したのは、「大切な記憶だからこそ、一度手放したい」と願った女性だった。
その人は、忘れたくない思い出を、けれどそのままでは前に進めない記憶を、丁寧に本に綴って図書館へ預けていた。
その姿に、自分を重ねた。
私にも、忘れたくないけれど、もう見続けることがつらい記憶があった。
それを無理に消そうとするのではなく、あるべき場所にしまっておくという選択肢があってもいいのだと、やっと思えた。
本を読み進めるうち、私はある哲学的な問いに出会った気がした。
記憶は私の中にある、けれど、私は記憶そのものではない――その感覚である。
これまで私は、過去の記憶と自分を切り離せずに生きてきた。
けれど今は、記憶は私の一部ではあるけれど、私のすべてではないのだと思える。
記憶を所有することと、記憶に支配されることは、まったく違う。
その違いを知ったことで、私は少し自由になれた。
私は読み終えたあと、自分のいくつかの記憶を、誰にも見せないあの日記に書いて、机の引き出しにしまっている。
それは自分を切り捨てるためではなく、自分を赦すための儀式だったのだと思う。
今でも私は、不器用なままだ。
相変わらず他人とうまく距離が取れず、自分の思考を言葉にするのにも時間がかかる。
だけど、『銀河の図書館』が私に教えてくれたこと――「記憶とともに生きていい」という優しい肯定は、これからを歩くための小さな灯になった。
あの頃の私は、記憶に沈み、自分を責めることしかできなかった。
けれど今は違う。
まだ頼りなくても、私は自分の記憶を本棚に置き、必要なときにだけ開くことができる。
自分を傷つけずに、記憶と向き合える手段を手に入れた今、私はようやく未来に目を向けはじめている。
私の中にはいくつもの記憶がある。
笑っている自分も、泣いている自分も、失敗した自分もいる。
そのどれもが今の私を形作っているのだと、ようやく思えるようになった。
あのときの私を、そっと本棚に置くように。
私は今日も、自分の人生の続きを読んでいる。
(1,668字)(24歳、女性、和歌山県)
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