もも「あこがれ」(寺地はるな『どうしてわたしはあの子じゃないの』)
「今の私は理想の私か」。そう聞かれて、悩まずに「はい」と言える人はどれくらいいるのだろう。できるだけ後悔のないようにと思いながら生きていても、一瞬、口を結んでしまう問いかけだと思う。誰もが誰かをうらやみ、けれど自分としてしか生きられない。そんな葛藤と「自分らしさとはなにか」を、この作品は問いかけてくる。
この話は、九州の田舎に住む幼馴染、天とミナと藤生の物語である。天は天真爛漫な女の子。自分の感情に誰よりもまっすぐで、小説家という夢を追って田舎を離れ、東京に行くことを望んでいた。そんな天と仲の良い友達がミナである。ミナは名家の娘として知られ、お淑やかで落ち着いていて、男の子からも人気があった。だが、ミナは藤生を好きで、藤生は天を好きだった。だからこそ、ミナは藤生に好かれる天に嫉妬し、「どうして自分は天にはなれないのだろう」と思い続けていた。
この本は、天・ミナ・藤生の幼少期から大人になった姿、さらにその周囲の大人たちの視点までを交えて描かれている。それぞれが魅力的でありながら、同時に誰かを羨む気持ちを抱えていることが印象的だった。誰しもが、誰かの特別さに心を揺さぶられるのだと思った。
私はこの本を読んで、特にミナに共感した。困った時は笑ってごまかし、周りの様子をうかがって人を不快にさせないように振る舞う姿は、まさに私自身と重なるからだ。それに、もし私が「どうして私はあなたじゃないの」と思うなら、それはきっと天に対してだろう。天は自由でまっすぐで、人の目を気にせず自分を貫ける強さを持つ存在に見える。ミナの好きな藤生の特別であるように、私も、誰かにとってかけがえのない存在になりたいと願ってしまう。
物語の後半で、三人は大人になってから再会し、幼い頃に交わした手紙を読み返す場面がある。そこには、ミナが憧れていた天が、実はミナを羨んでいたことが綴られていた。家では暴力を受け自由のない生活をしていた天にとって、穏やかで品のあるミナは眩しい存在だったのだ。何も知らずに憧れられていたことへの「いらだち」と、憧れの対象だと思っていた天もまた自分を羨んでいたという「安堵」が、ミナの心に同時に生まれたのではないかと思う。
私自身も社会人になってから、「なぜあの人のように上手くできないのか」「もし別の道を選んでいたら」と考えることが増えた。この本を手に取ったのも、同じように迷いながら「どうして私はあなたじゃないの」と思う自分を重ねたからだと思う。誰かを羨む気持ちは苦しいものだが、その裏には「自分のなりたい姿」が隠れているのだと気づいた。
また、羨望は一方通行ではなく、必ずどこかでつながっているのだとも感じた。自分が羨んでいる相手もまた、別の誰かに憧れている。そう考えると、人は孤独に劣等感を抱えているのではなく、お互いに影響を与え合いながら生きているのだと知ることができた。だからこそ、「羨む気持ち」を否定せず受け止め、その感情が示してくれる自分の弱さや願いを大切にしたいと思った。
私は私にしかなれない。どこにいても何をしていても、「もっとこうだったら」「あの人のようになれたら」と思うのかもしれない。それでも、羨む気持ちの中から自分の本当の望みを見つけ出し、自分なりの歩みを続けたい。そして、私もまた誰かにとっての憧れであるはずだと信じて、自分自身を愛していこう。
(1,386字)(24歳、女性、神奈川県)
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