Miko「忘れるのではなく」(湯本香樹実・酒井 駒子『くまとやまねこ』)
3年前、妹が死んだ。25歳の大学院生だった。妹は美しい人だった。精神の病に苦しみ、ある日突然死んでしまった。
10年前に同じ病で世を去った母の死は難なく乗り越えることができたのに、妹の死を受け入れて前に進むのは私にとって難しいことだった。母は十分に生きた。でも妹はそうではない。一緒に過酷な幼少期を乗り切った妹。もっとずっと一緒に生きていたかった。妹の生きられなかった世界で生きていくことを無意味に感じた。耐えられないと思った。
とにかく悲しかった。はじめは悲しみを存分に表現することができた。妹らしい葬儀をして、妹のことを愛したたくさんの人と妹の話をした。私の撮ったあどけない写真を遺影にした。花に埋まった妹は美しかった。あらゆる友人に妹の話をした。どんなに美しい人だったか、どんなに私が悲しいか、何度も話をした。友人たちは共感し、励まし、慰めてくれたが、私は悲しくなくなりたくなかった。悲しみ続けることだけが妹の影と一緒にいられる唯一の道だと感じていた。
「おいしいものを食べて自分を大切にして」「旅行に行ってみたら」「復職して忙しくしてみたら忘れられるかもよ」 そう言われても難しかった。「なんでも話して」「いつでも聞くよ」 そう言ってくれていた友達もだんだん戸惑っていくのが分かった。ちょうど育児で仕事を休んでいた頃だったが、育児もできなくなった。夫は何も言わず全てをこなしてくれた。私はただソファに横たわりながら涙を流し、妹との会話のログを何十回も読み直し、妹の写真を一枚一枚見続けた。
この絵本『くまとやまねこ』の主人公、くまもそうだ。美しい箱に花と死んだことりを入れて持ち歩き、友達を戸惑わせた。友達はこぞって言った。「もうことりはかえってこないんだ。つらいだろうけど、わすれなくちゃ」
誰とも深い悲しみをわかちあえなかったくまは、家の扉に中から鍵をかけた。カーテンを閉め切り、何日も何日も暗い家にいた。時々浅く眠りが訪れた。くまはずっと座ったまま、疲れ切っていた。
くまの気持ちが痛いほどわかる。忘れられるわけがない。ことりのことが本当に好きだったのだ。前に進めるはずがない。乗り越えられるわけがない。乗り越えたいとも思えないのだ。
ある日、くまは外に出た。いい天気だった。川辺でくまは不思議な箱を持つやまねこに出会った。くまの箱の中を見せたら、不思議な箱の中身を見せるという。くまが迷いながらことりを見せると、やまねこはこう言った。「きみは このことりと、ほんとうになかがよかったんだね。ことりがしんで、ずいぶんさびしい思いをしてるんだろうね」
やまねこの箱に入っていたのはバイオリンだった。バイオリンの音色のなかで、ことりとのことが次々思い起こされ、くまは少し微笑む。
妹のあらゆるところが好きだった。批評がいつも辛口なところ、何種類も持っていた派手な総柄ワンピース、一口残す癖、意外に上手な車の運転。許せないことがあるとよく太宰治の真似をして「それがそんなに立派なことか、刺す」と怒っていた。私や姉の子供を愛し、家にふらっと遊びに来ては裏紙に子供の姿をスケッチしていた。
小学生の頃、妹の歯軋りがひどくて妹が先に寝ると私は眠れなかった。でも私の歯軋りもひどくて、私が先に寝ると妹は眠れなかったそうだ。さだまさしが家で流行したときには「風に立つライオン」のメロディに乗せて会話をするのが楽しかった。母が薬を飲みすぎた日、私は「死なないで」と思っていたけど、妹は「苦しくなくなるといいね」と思っていたそうだ。一緒にパクチーの炒め物を作った日、妹は「パクチーってカメムシの味」と言っていて、カメムシを食べたことがあるの?と大笑いをした。クリムト展を一緒に見に行った日、妹はクリムトの絵のようなワンピースを着ていた。
くまは言う。「ぼく、もうめそめそしないよ。だって、ぼくとことりはずっとともだちなんだ」
くまはことりを埋葬し、やまねこと旅に出る。やまねこはバイオリンを、くまはタンバリンを演奏するそうだ。でもみんなが言うように「忘れた」わけではない。ことりはくまの心の中にいるのだ。くまが生きていれば、何度でも心の中のことりに会えるのだ。
それでいいのだと思った。一人で後ろを向いて悲しむことだけが妹と繋がっていられる方法ではない。妹は私の生活の中にも、先にも、いる。生きていれば、進む先々で私は私の中の妹に会うことができる。妹が愛した絵の中の妹に、音楽の中の妹に、子供達の中の妹に会うことができる。生き続けることだけが妹に会える唯一の方法なのだ。
くまは、ことりを忘れずに、しかし楽しく、旅をする。ことりが死んでも、ずっと友達でいることができるからである。忘れることだけが回復ではないからである。私も、そうだ。妹と一緒に歩んで行こうと思う。
(1,971字)(32歳、女性、埼玉県)
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