日陽蒼「ままならない今を、ままなるように」(朝井リョウ『ままならないから私とあなた』)
強烈な印象を与える本、というものは存在すると思う。そして、私にとってそのうちの一冊が、この『ままならないから私とあなた』だ。
私は朝井リョウさんの作品の爽やかさ、明らかに「若い」作者が書く等身大の世界が好きだった。
しかし、本作は違う。正直に言ってしまえば、1番最初の感想は「えぐい」だった。
どんどん自分の科学者としての地位を固め、人生のすべてを効率化していく天才少女・薫と、作曲家としての夢を常に抱きながら周りに流し流され日々を生きていく平凡少女・雪子。幼馴染である二人の、正反対の人生が丁寧に丁寧に描かれている。
初めてこの本を手に取ったのは、大学生のときだった。極端な二人の生き様にモヤモヤとして、どっちの人生が良いとも言えない、なんだか釈然としない気持ちになったことをよく覚えている。それほど、私は感情を揺さぶられていた。そして現実を突きつけるような本作が無性に怖かったのだ。
だから、もう一度この本を開くのは勇気がいった。
だけど、最近の私は果てしなく「ままならなさ」を感じていた。何もかもがうまくいかず、でも失敗しているわけでもない。中途半端で、あまりにも自分は何者でもなかった。そんなとき、ふと本棚を見てこの本が目についた。この本なら、そんな理由のない直感を感じて、重い腰を上げてでももう一度読もうと思った。
社会人になった私がもう一度出会った薫と雪子は、やっぱりどちらが良いとも言えない曖昧な存在だった。効率のために、何もかも捨てて、まるで「機械」のように生きる薫も。「情」に厚く、自分の思った通りの人生が生きられない雪子も。はっきり言おう。どちらも嫌いだと思った。
だけどそれは、私の中に二人のような自分がいるからだと思う。
完璧主義でスケジュールに合わないことがあると一人でに焦ってしまう自分。考えが足りずに失敗する誰かを心の中で馬鹿にしてしまう自分。おせっかいで人のことを優先して自分が蔑ろになる自分。騙されて良いように使われるだけの自分。そのどれもが、大嫌いだ。
本作の中でも薫と雪子は互いのことをどこか馬鹿にしたような描写が多々ある。相容れない二人は、でも究極的に互いしかいないような、奇妙な相互依存関係にある。そして、それぞれの息子はその親の生き方を否定し正反対の―雪子の息子は薫のような、薫の息子は雪子のようなー生き方を望むなんて、何という皮肉だろうか。
けれども、読み終えてすぐ、私は気づいてしまった。薫が雪子を、雪子が薫を求めるのは、羨ましいからなのだと。自分のなり得なかった世界で、自分と異なる「幸福」を手にしている。それが、どうしようもなく羨ましいんだと思った。そして、それはつまり、自分の手の中にある「幸福」を見失っているのだとも。
私は、もしかして「幸福」を見失っていたのかもしれない。
完璧主義でお人よしな自分は、他の人の仕事にも目を向けて足りないものを補えることがある。そして、人一倍「ありがとう」という言葉をかけてもらえる。馬鹿にされるのがつらいのを知っているから、そんな自分を諌めて相手に寄り添えるように努力できる。騙される悲しさを知っているから、他人を騙すことは絶対にしない。
おかげで、一声かければいつでも会える友だちも、困っていたら助けてくれる先輩たちも、支えてくれる両親、祖父母もいる。
そのことに目を向けて、「足りないもの」じゃなくて「持っているもの」に目を向けて、私は生きることができていなかった。そんな単純なことに、ようやく今、気がついたのだ。
人生はままならない。だけど、「ままならない」ようにしているのは、他でもない自分なのかもしれない。
もちろん何もかもうまくいくわけなんてない。私はこれからも「幸福」を見失って項垂れることがあるだろうし、足りないものに手を伸ばして大コケすることだってあるだろう。
だけど、人生を少しでも「ままなる」ものにするための努力はなくしたくない。転んでも立ち上がって、自分で答えを見つけたい。薫と雪子、どちらの人生が良いわけではない。どっちの良いところも汲んで、自分の人生を彩るのだ。
そしていつか、命が果てるその瞬間にすべてを飲みこんで「それでも私の人生はままなったな」と笑えるような、そんな生き方をしたいと思う。
(1,738字)(26歳)
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