第4回コンクール 優秀賞作品


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樹あみ「コドモのエイジ、オトナのエイジ」(重松清『エイジ』 )


 高校生の夏、まだ私が少女だった頃、この本をオトナに読んでほしいと読書感想文に書いていた。
 オトナになった私は、時を超えて少女の希望を叶えることにした。

 本書はキレる若者について中学生目線で書かれている。キレると言っても「抑えていた感 情がプツンと切れる」ことではない。「自分と相手との煩わしいチューブを断ち切ること」である。
 少女の私は、キレたい時もあるけれど全て好きなチューブであるからキレない自信があった。そして、その通り私はキレずにオトナになった。

 しかし、キレずにオトナになった代償は大きかった。少女の私は本当はキレたかったけれど、それを心の奥の暗闇にぐっと閉じ込めて、好きなチューブと思い込もうと必死だったのだ。少女の私は、「キレる」「キレない」しか知らなかった。そしてオトナの私は世の中を知り、相手に「キレられる」ということがあると知った。
 勘当、リストラ、友人の裏切り。世の中には理不尽にチューブを切られることがある。オ トナの私は家族からの暴言や暴力の対象になり、挙句の果てに見捨てられた。家族という太 いチューブを一方的に絶ちキレられて、チューブは朽ち果て、腐ってしまい、もう結び直せ なくほどボロボロになった。
 チューブは太ければ太いほどキレた時の反動が大きいと知ったのも、オトナになってこんな経験をしたからだ。キレた時の衝撃は大きく、例えば綱引きで思いきり引っ張っている時に相手がいきなり手を離したようなものだ。その衝撃で倒れてしまうと立ち上がれないと知ったのもまた、オトナになってからだった。

 「まじめなアノ人がまさか……」
 少年犯罪のみならず、凶悪犯罪が起きると必ず聞く言葉である。
 私は思う。きっと「アノ人」もコドモの頃にキレた経験がないのではないか。キレたチューブは行き場を失くして彷徨った結果、犯罪に結び直されてしまったのではないか。それほどにその反動は大きく、物事の分別がつかなくなるほどである。それは自分ではどうにもできないと、オトナの私は知っている。

 オトナになってこの本を読み返した時、少女の私とは感想がまるで違っていた。
 少女の私はチューブを全て「好きなチューブ」に変えればよいと思っていた。しかし、世の中を知ったオトナの私は、コドモの頃にたくさんキレた方がよいと思っている。小さくキレる経験をたくさんして、結び直す方法を自分で学び、「チューブを強化していく」ことが大切だ。そうすることで、オトナになってキレられた時も自分で正しく結び直せるようになる。
 また、そこで大切なことはオトナが決して介入しないことだ。それはコドモの成長を妨げて、せっかくの「キレる経験」を奪ってしまう行為である。オトナがすべきはことは、見守って、間違ったチューブに結び直そうとしている時に叱ることだろう。
 私は叱られたこともなく、過保護に育てられ、その経験を奪われていた。コドモの頃に世の中の壁にぶち当たって、乗り越える力が必要なのだと少女の私に伝えたい。少女の頃の親に伝えたい。そうすればチューブが朽ちることもなかっただろう。

 しかしまだ手遅れではない。本書の表現を使わせてもらえば、オトナになってからキレるのも「アリ」だ。朽ちてしまったチューブは、新しいチューブを買ってきて「好き」を見つけて新たに結べば良い。間違えて結び直したチューブは一度自分から断ち切って、正しく結び直せばいい。

 少女の私の感想文は、十代であることの葛藤や、コドモとオトナの間で揺れる不安定さに悩み苦しんで生きていることで文章を結んでいた。
 感性豊かな年代、14歳には14年分の、16歳には16年分の世界しか知らず、その小さな背中に背負ったものに押し潰されそうになりながらもがいている。オトナも同じだ。オトナになっても生きた分だけの重みを背負って必死にもがいて生きている。

 少女の私に、オトナの私からお礼が言いたくなった。
 またこの本に出合わせてくれてありがとう。オトナにとっての大切なことを教えてくれてありがとう。太いチューブを理不尽に絶ちキレられて立ち上がれずにいるオトナの私に希望をくれてありがとう。
 私はこの本を全ての親に、特に思春期のコドモがいる親に読んでほしいと思う。それと同時に、今度はこの本を私が親になった時に読んでみたいとも思う。その時どう感じるのか、今から楽しみである。

(1769字)(29歳、女性)


 ●使用図書


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