第6回コンクール 優秀賞作品


-Sponsered Link-


朝本「青春を振り返って」(朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』 )


 あの窮屈な青春に、いったいどれだけの価値があったのだろうか。

 「前田涼也」の一言に、私の心はぐらりと揺れた。
 ある日、映画部に所属する彼の作品が学校で表彰されたが、彼自身の地味な風貌と映画の作品名が生徒たちの嘲笑の的となる。表情には出さずとも、自分の掌に爪の食い込む感覚を味わった直後、彼は自分自身の学生生活をこう表現した。
「僕らは気づかない振りをするのが得意だ。」
 私の薄暗い青春に似た彼の言葉は、心の奥底にあった出来事の扉を開けようとしていた。まるで、あの日の重い教室の扉を開けるように。

 中学生の時に一度だけ、壇上に立ったことがある。課題として出された人権に関する作文が担任の目に留まり、学年代表で読み上げてくれと頼まれたのだ。自分のいじめの実体験が基になっているため少し迷ったが引き受けて、震える声で自分の作文を読み上げた。
 集会後、一人教室に戻って扉を開けた。その瞬間、好奇に溢れた視線が私に突き刺さった。作文の中で使ったフレーズを笑い交じりでひそひそと囁く声が、幾つも聞こえてきた。私は席に座り、下を向いてその空気をやり過ごした。気づかない振りをしていないと、この瞬間、息が出来なくなると思った。

 忘れていたはずのものたちが、彼の学生生活をなぞっていくと次々と甦った。  壇上から降りた彼の背中は、作文を読み終わった直後の私の背中と同じだった。その後、容赦なく放たれる馬鹿にした言葉を察知する彼の聴力は、全方向からのクスクスとした笑い声に敏感な私の地獄耳と同じだった。
 まるっきり、同じ青春を歩んでいる感覚。心の扉から漏れ出す風は、妙な湿っぽさを帯びていた。どこか落ち着かない学校という場所での日常を、彼も私も静かにやり過ごしていた。

 それと同時に、私たちの青春は、鼓動が高鳴る瞬間すら重なった。
 教室から離れた場所で大好きな映画の話で盛り上がる彼の笑顔は、帰り道に友人と教室では出さないような大きな声で語り合う自分の笑顔と同じだった。脚本を読む瞬間の彼と、本を読む瞬間の私の表情は同じだった。

 彼は映画を愛し、私は文章を愛していた。
 ぐらり、ぐらり、と心が揺れる。新作を撮ろうと一声あげれば、彼の青春はまるっきり違う姿になる。教室でどう振る舞うか、どう過ごすかなんてはるか彼方に放り出して、ただ目の前の脚本、カメラのレンズの先の映像に全神経が集中していく。彼が構えたカメラが映し出した世界は、空の色も隣にいる友達も普段は見えない美しさに満たされていた。その瞬間を切り取る時の彼の横顔も、きっと美しさに満たされているのだろう。
「何も聞こえない。物語の扉がゆっくりと開いていく音しか、聞こえない。」
 カメラを構える彼の姿は、もっと先にある意味を感じさせるものだった。

「ごめん!」
 唐突に甦った声に、自分が中学時代に引き戻されたことを悟った。私の目の前で頭を下げた男は、私が作文内で訴えたいじめの実体験に関与した者の一人だった。その後も別の者から謝罪され、その変化に戸惑いを感じていた。試しに周りに聞いてみたが、彼らは誰かに強制された訳ではなかった。作文を聞いて、彼らが自ら進んで謝罪をしに来たという事実が信じられなかった。
 教室の隅であの作文を無我夢中で書いた時間を思い出し、不意に涙が零れそうになった。壇上で作文を読み終えた地獄の後、確かに私の青春は続いていた。心の奥に閉まったはずの私の青春は、読み漁った本たちや、書き殴った文章たちが、真ん中にあった。

   彼は映画を愛し続け、私は文章を愛して続けた。

 彼の青春を記した一冊の著書に、心の扉をこじ開けられた。扉の鍵は壊されていて、陽の光を存分に浴びている。久々に外の空気を感じる青春は、少し埃っぽくてセピア色になっていた。それを感じた時、悲しさよりも懐かしさが心を満たしていった。新鮮な空気に触れた心は清々しさすら感じているようだった。その後は、著書に登場した他の学生たちの物語を心穏やかに読んでいた。

 その中に登場する男子生徒は、映画に向き合う「前田涼也」をこう表現した。 「ひかりそのもののようだった。」
 好きなものと向き合う時、私たちの青春は、それだけで輝いていた。カメラを持つ彼と、ペンを握った私は、きっと青春という枠組みを壊して広い世界へ飛び出して行けた。
 そして、私は今も文章を愛し、こうして彼と私の物語をここに書きつけている。青春と呼んだあの時間や自分の文章への思いを、今はその言葉を借りて表現してみたいと強く思った。

 あの窮屈な青春に、いったいどれだけの価値があったのだろうか。
 意味なんてものは、結局よく分からなかった。ただ、ひとつ。

 あの青春を突き破った先に見えたのは、「ひかりそのもの」だった。

(1913字)(女性)


 ●使用図書


※掲載作文の著作権は当コンクール主催者にあります。無断での転用・転載を禁じます。


-Sponsered Link-