第6回コンクール 入選賞作品


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こけまろん「それしかないわけないでしょう」(ヨシタケシンスケ『それしか ないわけ ないでしょう』)


 「それしかないわけないでしょう。」
 私調べによるとこの言葉、「もっとよく考えなさい」だとか、「普通はねぇ」だとかいったネガティブな表現とため息とのセットで使われることが多い。
 母子間で頻繁にやり取りされていると感じるのは、私が渦中の人だからか。自分が言わずとも、傍でやり取りしているのを見ると、心の中で見知らぬその人を労わりたくなる。
 ただ、言う事も聞く事も、出来れば少ないといいなと思う。正直、あまり好きな言葉ではない。

 この本に出てくる女の子には、お兄ちゃんがいる。
 ある雨の日の午後、学校から帰ったお兄ちゃんが学校の友達から聞いた、「自分達が大人になる事には、大変な事しかない」という話を、女の子は心の準備もなく聞いてしまう。大変なショックを受けた女の子は、一緒に住むおばあちゃんの部屋に行き、「どうしよう!未来が大変なの!」と訴える。
 しかしおばあちゃんは、「だーいじょうぶ」と、あっけらかんと返すのだ。おそらく女の子が生まれて初めての大問題に直面したであろう瞬間にだ。おばあちゃんの、「
あーハイハイ、それねそれね」という返事の軽さ。
 私も、絵本にありがちな教育的要素が無い展開に、不意を突かれた。しかもおばあちゃん、昼間から床についた状態で孫にそれをいうのだ。女の子だって思考が停止してしまっている。私が子どもの頃、「醤油ひとたらし」という量がわからず、小林カツ代さんの著書の中に「答案用紙の答えに丸を付ける感じ」という文章に遭遇し、真剣に考えていた自分に拍子抜けした時と同じ状況ではないか。
 おばあちゃん、そんなざっくりとした感じで宜しいのでしょうか。

 確かにおばあちゃんの言う通り、未来がどうなるかなんて誰にもわからない。
 天気予報も、今だ100%の精度にはなっていない。1999年にはノストラダムスの大予言で人類は滅亡するはずだったが、そんな未来は現在、どこにもない。
 とはいえ、備えあれば患いなしが信条の私には納得できかねるのだが、女の子は違う。さすがはおばあちゃんの孫。パッと思考を切り替え、次々と夢のある未来案を思いついていく。
 そして、私と女の子の心の距離は、どんどん離されていった。なぜなら、私は我が三人の子どもたちの残念な行動に日々振り回されているからだ。

 診断済みも含み、我が子たちは全員が発達上何らかの個性を抱えて生きている。
 気をつければ回避できる問題も、気を付けることを忘れる為に私がフォローに走り回る。子どもたちは経験を積み上げる事が苦手で、パニックをおこしたり責任転嫁を起こしたり、私がそれに準備をしていても想定外な事が起こる。
 「そんなわけないでしょう」を連発しながら、「次こそは平穏に」と、我が子たちの何キロも先の石橋を叩いては、チェックするのが日課になっている。先日は幼稚園児の末子が中学生になった時にどうフォローするっかを真剣に考え始め、相談した友人に笑われてしまった。
 しかし、私は心配で仕方ないのだ。見た目はいたって子どもらしい子ども。そこにちょっと自分勝手だったり、了見が狭かったり。成長に伴って広がっていく周囲とのズレ。本人達も少しづつ自覚しつつあるけれど、だからといってうまく適応するのは難しい。だからこそ、準備できるものは一緒にやり、少しでも早くスキルとして生活の知恵を獲得して欲しいと思う。母として、今は不安で一杯だ。

 しかし、そんな私が、おばあちゃんと女の子のやり取りを受け入れていけそうな出来事に先日遭遇することになった。
 子供達の習い事が連続しており、私が引率できない上に電車やバスを使っての移動時間に、余裕がまるでない土曜日。小学生二人組の子どもたちには遅れないようにと、予め帰りのルートを教えておいたのだが、不安が拭えずGPS携帯で捜索してみると、違うルートを選択していたことが判明した。
 何故だ・・・とため息をついた後、念のため時間を調べてみると、なんとその方が早かったのだ! すごい! いつの間にこんな機転が身についたのだろう。その時、涙が自然と出てきた。子供達の世界に進出し過ぎな今の自分を、思いっきり反省した。

 「それしかないわけないでしょう」 この言葉の使い手が我が家にもいた。
 子どもたちは自分たちで考え、違う未来を作り出したのだから、この本を次に読む時には、おばあちゃんと女の子のやり取りを素直に楽しめる私でありたいと思う。
 そしてちょっぴり欲張るなら、子供達を大笑いしながら読める未来を作り出せている私であって欲しいと思う。

(1431字)(女性)


 ●使用図書


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