第9回コンクール優秀賞作品


-Sponsered Link-


宮内了「時間泥棒を撃退する方法」(ミヒャエル・エンデ『モモ』)


 二十歳を過ぎた頃から、時間の流れがとても速くなったように感じていた。
 
仕事を終えて帰宅し、家事をこなしたり明日の準備をしたりしてしまうと、もう趣味を楽しむひと時なんかほんの少しも残っていない。そしてあっという間に次の朝がやってくる。
 毎日がその繰り返しで、大人になるというのはせかせかして忙しいものだなあ、と感じながらも、そういうものなのだろうと、どこかでは諦めて日々を生きていた。
 しかし子供の頃に読んだ「モモ」を再読した去年の七月、はたと気がついた。私の納得の仕方はまったくの間違いで、実際は、灰色の葉巻をくゆらせた時間泥棒に、大切な時間を少しずつ盗まれていたのだということに。

 「この世界を人間の住むよちもないようにしてしまったのは、人間じしんじゃないか。こんどはわれわれがこの世界を支配する!」

 時間泥棒は、全身灰色づくめの外交員の姿をしている。騙しやすそうな大人のもとにこっそりと現れては、時間を倹約して時間貯蓄銀行に預けろと迫る。
 とうぜん預けた時間が返ってくるはずもないのに、つまらない暮らしに飽き飽きした大人は、貯蓄した分だけ利子まで払ってもらえるという言葉を鵜呑みにして頷いてしまうのだ。たくさんの時間を自由に使ういつかを夢見る、素直な心につけ込んだ恐ろしい契約である。
 その外交員の正体は、人々から奪った時間で生きながらえる、時間を司るマイスター・ホラに言わせるところの「ほんとうはいないはずのもの」。人間がそういうものの発生を許す条件を作り出しているから、それに乗じて生まれてきたのだと言う。

 子どもの頃は、灰色の男の影に怯えながら、子どもでよかったと安堵したものだ。大人以上に時間の大切さを心得ている子どもならば、たとえ泥棒から取引を持ちかけられたとしても、モモのように強い気持ちで跳ね返すことができると信じていたから。
 そのことを大人になっても絶対に覚えていようと心に決めていたのに、すっかり忘れてしまった私はあろうことか、暮らしの中に忍び込んだ外交員といつの間にか契約を交わしていたらしい。
 生きるということそのものであるはずの時間の、本当の価値も知らないままに。

 ちょうど一年前の夏、転職をした。
 それまでの私は前述したような、時間がないゆえに時間に追われる生活を送っていた。過ぎ去っていく毎日にしがみつくことで精一杯で、一日一日を振り返る余裕もなかったように思う。
 ではそれは前職のせいかと問われれば、そういうわけではない。たまたまこの本を再び手にとったのが、前の仕事をやめたタイミングだったというだけであり、もっと早く読んでいれば、以前の環境の中でもじゅうぶん気づくことができたはずだ。

 私が生きているのは現実の世界なので、物語に出てくるような灰色の男たちはもちろん存在しない。
 しかし、彼らは姿を変えて、人間から毎日少しずつの時間を盗んでいる。
 それは時には「テレビ」であり「動画サイト」であり「SNS」であり「インターネット」であるのだ。「ゲーム」や「お酒」であることも、私の大好きな「本」や「漫画」の姿をしていることもある。
 論ったものたちが悪いのではない。とても便利な、人間が作り出した素晴らしい娯楽だ。では、なにがいけないのかというと、大人になった私がそれらとの正しい付き合い方を見失ってしまっているという点である。
 習慣的にだらだらと際限なく、ただなんとなくそれらを楽しみ、本当にしたいことに費やす時間をどんどん失っている。時間がないために心の余裕も少しずつなくなり、日常のちょっとした瞬間にも感謝したり楽しんだりすることができなくなっている。それこそがまさに、灰色の男たちに時間を盗まれているという状況に他ならないのだ。

 存在しないものに盗まれた時間はどうやって取り返したらいいのだろう。
 そう考えたとき、モモが時々聞いていたという音楽のことを思った。〈どこにもない家〉で、時間とはなにかをじっくり考えたすえに、モモは言ったのだ。
 「いつでもひびいているから、人間がとりたてて聞きもしない音楽。でもあたしは、ときどき聞いていたような気がする。とってもしずかな音楽よ」と。

 自分の時間を正しく我が物とするためには、その音楽に耳をすませなくてはならない。気まぐれに浪費するのをやめて、心が豊かになる、己を成長させるひと時のために使わなくては。
 新しい仕事に就いたのをきっかけに、私はその音楽に耳を傾けるようになり、結果、時間泥棒を撃退することに成功した。それは簡単なことだったのだ。

 与えられた、限りある時間をどのように使うかは自分次第なのである。
 不思議なことに時々、あのでたらめな契約どおり、時間泥棒が利子を払ってくれているのではないかとさえ思うことがある。そのおかげで私は、仕事の拘束時間は以前よりむしろ長くなったのに、ゆったりとかまえて充実した一日を過ごすことができている。

(1,986字)(27歳、女性、宮城県)
twitterアカウント : @yoruno_yume__


 ●使用図書


※掲載作文の著作権は当コンクール主催者にあります。無断での転用・転載を禁じます。