第8回コンクール 優良賞作品


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中島康隆「父の願いは・・」(サンドケー出版局編集部編『父の背中』)


 「もう 帰るのか?」 「私は……」
 父はそう言って、頭を落とした。

 『父の背中』 この本は 数年前に一度読んだことがある。
 そして、新鮮な気持ちで再びこの本を手にしたのだが、その時、私の手は震えていた。この題名を目にすると、遠い昔、まだ父が元気だった頃、私に言った言葉がまざまざと蘇ってくるのである。

 父は肺を患って長く入院をしていた。
 帰省先から戻る前に顔をもう一度見ておこうと、病院へ出かけたことがあった。 近くの公園を散歩をしているというので探しに行くと、しばらくして父親の後ろ姿を見つける事ができた。 父は一人で遠くの山を眺めていた。
 それを見て、私は身動きができなくなった。 父の背中からは淋しさがにじみ出ており、闘病生活が長い事もあってか、以前の面影はすっかりなくなっていた。
 早く、声を掛けなければ、という気持ちがあるのに声が出ない。私の心と体が止まってしまった瞬間である。
 息を飲み込んで、やっと声を出した。これから帰る事を伝える。もう昔の力強い父はなく、涙もろい年寄でしかなかった。
 父は「もう帰るのか?」と言い、そして、「私の最期はお前に見てほしかった」「あんなに遠くへ行ってしまったのでは、とても無理だな」と言った。
 思いもよらぬ父の言葉に、私は戸惑いを感じた。 私には3人の兄がいて、すでに両親は長男夫婦と同居していたからである。今までにこの様な話は聞いた事もなかった。

 この本には28人から投稿されたものが載せられている。
 他の人は父親の事をどんな風に見ているのか、どんな関係をもっていたのか。興味があった。
 読んでいくと意外とインパクトが強く、過激なものもある。年代的には明治、大正、昭和初期といった時期なので、父親の威厳というものは強かったのだろう。父親には絶対服従というのも出てくるし、父親とうまく行かない人もいれば、反面、息がピッタリの人もいる。人様々で人間模様が見て取れる。
 心に刺さった言葉に「お父さんが、はやく亡くなってくれたら……」 というものがある。これは想像した事もない言葉である。あまりにもわがまま過ぎる父親の言動が、家族にそう言わせるのだろう。

 翻って我が家を考えると、私達の父親は常に先頭を走っており、父のうしろに家族6人がいて、世の中の風は 全て父が受け、私達は気持ちの良い暖かい日差しの中で過ごしていた。そして、それを当たり前の様に感じていた。
 先頭を走る父親の姿からは背中しか見えず、歯を食いしばっていたのか、泣いていたのか、その表情を後ろからは図る事はできなかった。
 特に真剣に話した事もなかったので、父が何を考えて、子ども達に何を願っていたのかも全く知る由もなかった。家族を養うのは父親の務め、当たり前の様に思ってしいまい、存在が薄れてしまっていた。

 父は、幼少の頃、子どものいない祖父母のもとに養子として来たらしい。
 学校は尋常高等小学校しか出ていないが、勤勉家で多くの本を読み、むつかしい国家試験にも合格して会社も立ち上げた。
 今の私は、家族を養うのは自分の務めであると自覚しているつもりだけれど、父の様にやさしく、頼もしい存在になっているのだろうか。

 そんな父は、65歳という若さで、私が結婚した3日後にあっけなく逝ってしまった。この訃報は遠い就職先で聞いた。
 父の願いであった最後の面倒を見るという事はできず、ただ、涙を流すだけの自分だった

 再びこの本を手にした時、私は同じように父を、そして父の言葉を思い出すだろう。
 その時に少しでも父に近づいていられるよう、私は父の背中を追い続けていく。

(1448字)(69歳、男性)


 ●使用図書


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