第4回コンクール 優良賞作品


-Sponsered Link-


母里真奈美「春にして君を離れ」(アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』 )


 正しいは正しくない。

 私はある作品を読んですぐに、自分の信じる正しさを真っ先に疑った。

 いつも考えや態度が自信にあふれかえり堂々としている、という大統領のような人物ではないが、私は元来頑固なところがあるので一度自分が決めたら譲れない時がある。しかし、 アガサ・クリスティが著した『春にして君を離れ』を読み、私は正しいという言葉への信頼が揺らいだ。

 アガサ・クリスティといえば、灰色の脳細胞をもつ名探偵ポワロや、類まれな観察力と洞察 力をもつ老婦人ミス・マープル、夫婦で事件を解決するトミーとタペンスなど、多くのミステリー小説を世に出した女王だ。そんな彼女の小説の中でも、物騒な事件が起こらず、事件を解決する役を担った人物も登場しない唯一の作品が『春にして君を離れ』である。

 この物語の主人公は、優しい夫と子ども三人をもつ、自分で築き上げた家庭と理想の家族に満足している普通の主婦である。彼女は、離れて暮らす娘を訪ねた後で、ロンドンに帰る汽車が足止めをくらい、おとなしく砂漠の町でゆっくりとした時間を過ごすことになる。彼女には時間をつぶす手立てがない。本も読み切ってしまい、話し相手もいない彼女は、自分の過去を自然と頭で反芻し始める。

 主人公の女性は、自己満足と自己完結のエゴイストである。読み始めた時は、彼女の家庭 に何にも問題がないように感じられるが、それはあくまで自分が良ければそれで良しと考えている主人公の主観なのである。
 例えば、彼女の夫は法律事務所を親から継ぐことがほぼ確定しており、妻もそれに大いに賛同していた。しかしある日、彼女の夫は農場を始めたいという夢のような話をもちかける。彼はただ無機質に日々をやり過ごすよりも自分の生きがいに力を注ぎたくなったことを必死に妻に説いた。だが、理想の家庭を築きたい妻にとって、夫の夢は夢に過ぎず現実的ではない。当然、彼女は躍起になって夫を説得し、彼は心を折って妻の言うことを受け入れた。
 このように主人公は自分の考えの正しさを信じて生きてきたために、周りの人間から疎まれていることが徐々に明らかになる。

 ところで、農場の経営をしたいと、もし身近な人間が言い出したとしたらどうするだろう。
 私はすぐに自分の身近に置き換えて考えた。もし、一家の大黒柱である父が田舎に引っ込んで農場をやりたいと言い出したら。十中八九、私も母も父の夢を止める。牧歌的に自然を間近に感じながら仕事に取り組むことには確かに憧れるかもしれないが、いま父が仕事を辞めてしまえば経済的に不安定な生活が待っているのだ。上手くいかない方向に行ってしまえば最悪、一家離散なんてこともあり得る。
 私は自らに立場を置き換えてみて、頭に電流が走るような衝撃を受け、そして気がついた。主人公の女性が間違ったことを言っていない事実に。
 やることなすことに思いやりがなさそうに見える彼女は、正しいことをいつも主張してい るのだ。夫の夢を否定し、子どもを悪友から引き離し、彼女は彼女なりに思い描いた理想の 家庭を作るため、そして家族を守るために必死に働いていたのだ。

 母としてやるべきことの正当性を信じる主人公、対照的に彼女の思いやりのなさを批判する夫や子ども。読者はどちらかの考えに賛同するだろう。
 一家の母として良かれと思って行ってきたことは実は正しい。しかし、周りが彼女から距離を置く。彼女は苦しくなりながら砂漠の町でひとり、思い返す。
 子どもたちのため、夫のためにやってきたことは、自分の私欲を満たすためのことだったのではないか。嫌というほど心の暗い穴を見せつけられるこの作品は、読者自身も自分自身を見つめ返さざるをえない。友だちの相談に乗ったこと、ボランティア活動をしたこと、すべて人のためと言いつつ実は我が身のための行動だったのではないか。実は自己中心的なのではないか。正しいこととは、一体何なのか。人の考えと自分の考えの間にある差異に、頭も心もぐるぐるになった。

 正しいとは、人によって違うものなのだ。自分から見てそれがどんなに良くても、他の人 から良いものでなければ価値を認められない。そして、相手と自分の間に横たわる正しさの違いに気がつくことができなければ、主人公のようにいつの間にかひとりになってしまう。
 私は、アガサ・クリスティーがこのような孤独を描くことで、広い心で物事を受け入れなさいと暗に伝えたいように感じた。自分にとっての正しさを、決して過信してはいけないのである。

(1825字)(女性)


 ●使用図書


※掲載作文の著作権は当コンクール主催者にあります。無断での転用・転載を禁じます。